ルピナ中部工業をとりまく神社巡り

ルピナ中部工業

2019年06月14日 08:00

水無月もなかば、いよいよ青葉影濃い季節になってきました。

梅雨まっさかりではありますが、今回のテーマは“散策”。

3月1日に掲載された「会社への行き方」に続き
今回は「ルピナ中部工業をとりまく神社巡り」をご紹介いたします。




散策を担当するのは弊社御菓子奉行ことK林と、自称糖分女王のE畑

梅雨の晴れ間のある日、会社の駐車場に集合したふたりでございます。

今回の散策は、まずは勢伊多賀神社、そこから猿田彦神社に向かい鹽竈神社で締めるというもの。
「そんな行動計画になります…ご準備よろしいかな、押忍!」
「委細承知!」


雄叫びも高らかに放ちつつも、第一目的の「勢伊多賀神社」はすぐ近く。
叫んでいる間に到着してしまうほどのご近所にお住いの神様です。



実はE畑、かねてより勢伊多賀神社の「せいたか」というネーミングに大変興味がありました。
伊勢をひっくりかえした状態に滋賀の多賀大社をドッキングさせた名前…なんとも謎すぎる!
と個人的に盛り上がっておりましたが、なんのことはない。主祭神に由来した神社名なのでした。
主祭神は国造りの礎である伊邪那岐と、息子にあたる金山彦命。

…ん?金山彦命って、確かどえらい生まれ方をされた神様だったような…?!

古事記によると日本の国造りをおこなったのは伊邪那岐と伊邪那美の夫婦神。
 
あれやこれやの紆余曲折を経て国土がつくられ、母神である伊邪那美が国造りを支える神様をせっせと産んでいたのですが、
加具土命の出産でとうとう命を落としてしまいます。
というのもこの火加具土命は火の神、それ故出産時に母体も大火傷を負い絶命してしまうのです。
その伊邪那美が空前絶後の苦しみのなか嘔吐した際、嘔吐物から生まれたのが金山彦命なのでした…

出生地、そこ?!そんなとこから生まれちゃっていいの?!

アタマの中は疑問符だらけではありますが、それはさておき。
大火傷が原因でショック死した妻を見た伊邪那岐は怒り狂い、死の原因となった息子(生まれたてです!)、
加具土命をその場で殺しバラバラに切り刻んでしまうという凶行に出ます。

火の神の炎が延焼することを恐れた行為なのかもしれませんが、なにもそこまでしなくても

火の勢いをおさめたいのなら、水をかけろ!水くらい出せるだろう神の力で
しかも妻の遺体のかたわらには金山彦命(こっちも生まれたて!)が…!

まさに阿鼻叫喚の地獄絵図です。

母絶命+兄殺害+犯人は父という超絶逆境に生まれ落ちた金山彦命ですが、
出生の複雑さにやさぐれることなく、すくすく成長。そして「金」の文字にふさわしく、金運を司るありがたい神様となりました。
加えて金運だけではなく、鉱山・鉱物・鍛冶を司る他、商売繁盛や災厄まで担う頼もしさ。
鉱物や鍛冶といった体力重視的なミッションも「了解、任せてください」的に爽やかさすらも感じます

本殿で柏手を打ちながら、金山彦命が三次元に降臨したならば細マッチョ風なさぞやクールな男性であったろうよ…と妄想をかきたてられ思わず鼻息が荒くなったE畑でございました。
 


つづいて訪れた神様は「松本猿田彦神社」。

先の「勢伊多賀神社」につづきここでも古事記が大活躍です。そもそも猿田彦命とは土地を守る地場神だとか

その姿は鼻長く、眼玉はギラギラと見開かれ、赤く血色よく輝く皮膚…らしいのですが、も
うこれ天狗ですやん!思わぬ発見!と意気込みましたが、
猿田彦命と天狗は全く無関係とのこと。ちょっとがっかり。

天照大神から「悪いんだけど、ちょっと下の様子見てきてくんない?」と地上視察のおつかいに出された邇邇芸命をお迎えし、
いちばんよい道まで案内した神様が猿田彦命。
このことから猿田彦命はものごとの最初に現れ、万事よい方向へ導く「おみちびき」の神として信仰されてきました。

境内には少々苔むした阿吽の狛犬が鎮座。まるでここだけ時間が止まっているかのように静寂に満ちています。
「おみちびき」は特に必要とはしていませんが
「寺社の中ではなぜだか厳かな心持になるものですなぁ…」とK林と話しながら境内を後にしました。
 




猿田彦神社から鹽竈神社に向かう途中に「正麟寺」に遭遇。

猿田彦神社参拝でにわか厳か気分からの詣トランスハイになっていたのか
「これはもう『おみちびき』ではないですか!」
「なんらかの縁でもあるかもしれませんよ!」
と無駄にテンションをあげまくって山門をくぐるふたりでした。

だがしかし、ここで殊勝な心持になるふたりでは決してなかった。
藤棚や石楠花が咲き誇る姿を眺めながら

「まあ、きれい」
「でも花は食べられませんからね」
「そういえばそうだった」
「きれいで満腹にはなりゃしませんし」
「確かにな!そういえば空腹でありまッす」
などと言いながら境内を散策していたのでした。


正麟寺山門前には「禁葷酒」の三文字が刻まれた石碑が屹立。

「とりあえず酒は受けつけない、という強烈な圧を感じる」
「酒となにかを禁じているわけですね」
「たぶんな」
「なんでしょう…」
「まあ禁じられても呑むけどね、お酒。だってもう門出ちゃったし」
「ですよね。とりあえずなにか食べませんか」
「いただく!いただくともさ!」

ちなみに後日調べたところ、「禁葷酒」とは
修行の妨げとなる酒と大蒜・葱・韮・辣韭・野蒜(いずれも精力増強の野菜)を
持ち込むことも、またそれらを喰したものが立ち入ることを禁ず、ということらしいです。
精力がつく→心が乱れムラムラしちゃう→修行に集中できん!ということか。
いつの世もムラムラは人生の悩みどころなのかもしれません。


K林とE畑のふたりはといえばムラムラするよりペコペコ。空腹が最大の障壁なふたりです
飢餓状態が続くとなにをしでかすかわからないだけに、即行パスタのお店に駆け込みました。
こまくさ通りにある「はなぐるま」です。
店内は活気にあふれ、否が応でも食欲ボルテージはマックスに。
勢いにまかせオーダーしたE畑ですが、運ばれてきたパスタを見て言葉を失いました。

「…あれ?ドーム形なのかな、ここのパスタって」
見たこともないようなボリュームのパスタが眼前に鎮座。
思わず何度も見返しているうちに、あることに気づきました。
「あれ…そういえばパスタ本体がよく見えない?」
パスタとミートソースをくるくるっとフォークでからめたいのに、
野菜と挽肉たっぷりうまうまミートソースが表層を覆いつくしパスタまで全然たどりつけないのです!

どうしよう…おいしいのに具が減らない!死に物狂いでひたすら皿に向かうこと、しばし。
喉までパスタが詰まった状態で完喰、ふらつきながら店を後にしました。
あまりの満腹感(ちょっと苦しい)にぼうっとしていたら、けろっとK林が言いました。

「そういえばこのお店って、量が多いことでけっこう有名なんですよ」
今、なんつった?
「だから男性にも人気のお店なんです」
それ、最初に言って!…ぐふ…ッ。

ぱんちくりんの胃袋を抱えつつ向かうは最後の目的地「鹽竈神社」。

主祭神は塩土老翁命。塩づくりと安産祈願の神様です。
なんとなく翁、という言葉と塩づくりとか安産祈願という要素から、
長い髭で口癖が「よきかな~」的なおとぼけキャラをイメージしたふたり。
すっかり気の抜けた状態で、安産祈願(いずれも出産予定皆無)の一環としてE畑が「いますぐ胃袋のなかみを出産できますように」と願えば、K林は「じゃあ、わたしは一生くいっぱぐれないよう、翁に祈ります」と言い放つ始末。
この胃袋膨満状態でその祈願。K林の本性を垣間見た気分でした。


「鹽竈神社」といえば、もともとは陸奥国(宮城県周辺)の一宮。
その神社が松本に分社されたのは1650年頃のことです。
地元では「しおがまさま」と崇められている存在であり、かつ本宮自体は全国有数のパワースポットとして人気なのだとか。
分社された頃の松本藩はかねてより続く飢饉からの財政赤字、三代将軍家光死去に殉死してしまった城主の後始末、さらなる飢饉の予感など問題山積みな状態。なぜ海の神様をお招きしたのかは不明ではありますが、「しおがまさま」に祈りを込めた当時の人々を思うと、やれ膨満感解消だの、一生くいっぱぐれたくないだのの言を反省した次第です。

けれど転んではただで起きないK林とE畑のふたり。
「江戸時代の人よ、おつかれさま★のキモチを噛みしめながらお茶しに行こう」
「いいですね、おおいに噛みしめましょう!」
鹽竈神社参拝後にはウキウキと参道を抜けて、またもや胃袋になにかを投入すべく市街へと向かったのでした…

今回の“散策”で得たことは
訪れた寺社についていろいろ調べることで松本の歴史や、思わぬ地名の由来を知ることができたこと、
そして食欲にまかせると、時にはとんでもないことになるということのふたつです。

というわけで自戒も含みつつ…次回の“散策”は「ルピナ中部工業周辺グルメ祭り」を絶賛企画中です。









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